医師が研究し論文を書くこと

医師として特に旧帝大の大学院とか医局に所属しているとボスや仲間達の、兎にも角にも「研究し論文を書くことはよいこと」という価値観に染まりやすい。なので、なんとなく大学(医局)に残って研究を続け論文書かなきゃなぁという気持ちになっている医師の方々は多いようにも思う。自分も博士課程の時はその思いが強かったし、今も若干ある。

 

大学院時代、ボスには「英語論文書かずば人にあらず」の勢いで育てられ、睡眠と食事とナイトスポーツしている時間以外はしこしこ研究を続け、医療現場に戻ってペースは落ちたもののそれなりの本数の英語論文を書いてきた。そんなこんなをずーと続けていればいつしか、ドラマ「ブラックペアン」の教授陣のような理事長選の椅子までとはいかずとも、何らかの形でインパクトファクターを争う人生にもなるのかもしれない。

 

日本でのお医者さんによる研究において「研究し論文を書くことはよいことである」と言われる理由でよく挙げられるのは

 

①医学の発展に貢献する人こそ偉い、そしてその多くは研究者である(という価値観)

②研究者の成果物の1番は論文である(書籍ではない)。グラント獲得含めポジションを得たり、偉そうな会にお呼ばれされ持論を述べたり、出世するのに論文が必要。

③研究し論文を英語で書くことで、世界中の研究者に読んでもらえて、続く研究や産業発展の役に立つ可能性がある

④研究し論文を書き、論文が査読社に回されて批判を受け受理されるまでの過程において、思考の整理、得られた知見と関連する先行研究の知見を含めた膨大な知識を得られ、更に造詣が深くなる

⑤論文を通して自身で研究発信することで、関連分野で興味関心を持ってる研究者や読者を結ぶコミュニティーが楽しい。海外の一流研究者とも交流がもてることも多い。

⑥やっぱり最先端の医学的知見を自分の手で見つけること自体が楽しい。

⑦アクセプトされた雑誌のIFが高かったり、聴衆が多い学会や講演会での発表等ではドヤァもできる。

 

あたりであろうか。まぁ他にもあるかもしれないのでコメント覧で教えて頂ければ幸甚である。

 

ただ、そんなメリットの多い研究と論文執筆も日本でやるには、なかなか旨味がないのもあるだろう。その理由やデメリットとして

 

①そもそも医療現場が忙しくて研究する時間がとれない。研究は金にならないが医療は金になるので、医療現場重視になりがち。(奥さんにそんなに研究して家庭やお金はどうなるの??プレッシャーを受ける)

②論文出版自体は書籍にようにはお金にはならない、むしろ英文校正や、場合によっては掲載料として数十万支払わないといけない。

③沢山の論文を書き、ポストにつけたとして普通の医師に比べ給料は落ちる。

④若手が臨床志向で研究現場でいなくなり、大学が貧窮化する今、教授職に昔ほどの旨味はない。はたまた、研究室運営においてもお金の心配がつきまとう。

⑤研究したり論文そんなに書かなくても実は教授になれる裏ルートがある。(今はあまりないかな)

⑥そもそも苦労して研究しても役に立つ実感や面白みがない。面白くなくても偉くなるのを目指して論文を書き続ける程の名誉欲はない。同じ時間があるならば他の有意義な自己実現を目指したい。

 

 などなど、そのかけた時間に見合う報酬(金銭・名誉・権力・知的好奇心)を期待を含めて得ることができないことによるのだろう。

 

日本のアカデミック研究者が研究できない、ひいては論文数が落ちている原因としてよく挙げられるのは、「研究者の低い待遇、多い雑用」であるが、医師の場合は研究なんかやめて臨床した方が、待遇がよいという状況があったりする。なので昨今の財政難の中、すすむ超高齢社会を国民皆保険で成り立たせている日本において、医療を提供している医師の経済的or時間的余裕がなくなっていけば、そして研究者の待遇が今のままならば、自ずと医師は研究から離れていくことだろう。

 

マクロレベルの対策として、医師の研究を活発にするためには、研究者の環境や待遇をよくすればよい(逆に医者の待遇を悪くすればよい)かもしれない。海外に目を向けてみると、イギリスであれば、医者の研究者は非医師の研究者と比べ特別待遇を敷いていいたりする。アメリカをみると、ポストをもった研究者になれれば(生き残れば)、そもそも待遇がよかったりする。中国に至っては医療者の待遇が低すぎる(から研究者になる)という状況もあるようだ。各国で特徴はいろいろだが、医師が研究のモチベーションを持てそうな土台はありそうである。

 

では、今日の日本の医師のアカデミック研究を支えているのは何かと考えてみると、もともと実家が医師家系などで資産家であるなど太いパイプがあったりしない限りは、「医師バイト」がその重要な役割を担っているのではないかと思っている。多くの研究を行っているであろう大学病院やブランド病院に所属する医師の待遇は悪いのは有名だが、研究日という名の医師バイト(外勤)が週1あったりして、年収は1000万を超えてまずまずの待遇を保っている。ただし、今後は日本の医師バイトの将来は暗いかもしれない。特にどの診療科でもできるようなバイトはそうだと思う。というのも、先に決まった医学部定員増もあって、今後は楽で都会の仕事市場を中心に医師が急速に飽和してくることが強く予想されるからだ。まだ、地方の大変な仕事をバイトにすれば食いつなげるかもしれないが、地方から始まる高齢者減少による医療需要減少の問題が次にやってくるだろう。

 

古き良き時代のように、研究するのも含めて医師だと理想を掲げたいのであれば、医師の待遇をよくして時間に余裕をもたせるというのが正しいのだろう。が、もはや日本にその余裕はないのかもしれない。その一方で、今まで研究する医師を支えてきたであろうバイト料のダンピングが始まることで、医師の研究離れに拍車がかかりそうである。

 

アカデミック研究においては、多少余裕のあった医師も徐々に息苦しくなっていく将来が見える。じゃぁ今後研究もしたい医師はどうするか。どこで研究をして論文を出していくか。国からの研究費を今後も獲得できるだろう旧帝大・旧六医大・私立御三家医大や都会の大学病院・国立病院機構・ブランド病院や理研をはじめとする国立研究機関に所属もしくは提携するといった既存の手も勿論あるだろう。

 

ただ僕は下記のようなお金が回っている企業・自治体が案外ブルーウォーシャンなんじゃないかと思っている。

 

1.内部留保のある製薬企業・財閥系企業・一流外資等の産業界

2.多角経営等して儲かっている病院含めた医療法人

3.十分に投資や補助金を受けた医療のベンチャー企業

 

 

上記のような組織との所属・連携だけでなく、自宅を研究所にして自分をブランディングして個を売り出すという戦略もインターネット社会では大いにありうるだろう。

 

「COIはない」が、「COIはある」時代へ、医師はアカデミック研究から離れて、産業界の中で研究していく時代がもう来ている気がする。だとすると、アカデミックでは必須であった論文は(アカデミック以外で研究者やるなら、研究の成果が企業に役に立つ形であればよいので)そこまで必要なくなるかもしれない。産業界や病院、自分の立ちあげた研究所と大学機関を行き来する医師研究者も増え、研究は過去にない活発さをみせるかもしれない。

 

そんなことを夢想する今日この頃でした。

 

おしまい。