医師が学位をとること

ここ数日でまた一段と寒くなってきましたね。病院の患者数も心なしか増えてきた気がします。

 

さて先日、twitterで相互フォロー頂いている若手エリート医師のマイアサウラ先生から、医師のキャリアとしての学位取得について興味深いリプライが飛んできました。

 

 

ということで、今日は医師のキャリアとしての学位について考えてみたいと思います。

 

日本で医師のキャリアの話題としてあがる学位の多くは博士号(医学)のことを指していて、これを医師人生の中でとるかどうかというのは、通常最低4年かかるキャリアコースであり、取得に迷いのある先生も多いことかと思います。

 

「自分は研究が(も)したい人生なのだ」という先生は、研究のトレーニングをしっかり行うという意味でも大学院にはいり、学術的研究能力の証明といえる博士号をとった方がよいので、あまり議論の余地はありません。ガチで研究をやりたい先生はできる限り早いタイミングで、自分のやりたい分野の研究を世界トップレベルでやっている所の門を叩く方が良いのは言わずもがなです。

 

議論の対象になるのは

  • 研究にちっとも興味ない
  • 出来るだけ臨床をしていたい

  けれど、

 

周りの皆が取ってるから博士号取得するかどうか少し迷っているという先生でしょう。

 

 博士号を取る既存のレールから脱線するのもなんか恐いなと思っているマイアサウラ先生のような先生が今の日本(特に旧帝大や私立御三家)の医師には多い気がしています。

 

さて、そもそもの話として、将来臨床で食っていく医師が博士号をとる旨味とはなんでしょうか。

 

いろいろ議論のある所ではありますが、簡単に

 

  • (多くは)公的機関の役職(教授・院長・部長等)につきやすい
  • 研究者としても生きやすい(研究費獲得や、留学や外国で働く時の待遇)

 

だと思います。

 

 「医師は学位を取るべきか否か?」の過去に行われた議論では、雑用に耐える能力獲得、患者集客のための泊付け等の意見が見受けられましたが、僕はあまり意味がないと思っています。前者はいわずもがな、後者に関しては、博士号に希少性がない(のでまやかしも効きにくい)今、患者が求めるのは結局、臨床としての腕だからです。他には学位があると毎月の給与が数千~数万上乗せされるってのもありましたが、研究をその役割として担っている公的病院等でなければ、本来診療報酬に何の影響もない(むしろ研究する時間分マイナス?)な博士号に大きな価値を病院が与える事はないと考えるのが自然でしょう。

 

学位取得の過程で受けるトレーニングや、行う一連の研究作業によって

  • 調査能力
  • 批判的吟味能力
  • 客観的思考能力
  • 論理的思考能力
  • 統計力
  • プレゼンテーション能力
  • 英語運用能力
  • 知の創造能力

は向上する可能性はあり、これが臨床に活かされる場面もあるとは思いますが、博士号取得の過程でなくとも、学会発表・論文発表はじめその他の様々な活動でも得られる能力でもあり、博士号を通して得られる大きなアドバンデージとまでは言えないかもしれません。

 

博士号取得による医師のメリットともいえる公的病院の院長・部長職等の役職獲得(及び、それを通しての経済的利点)ですが、最近はその旨味も少なくなってきている気がします。

 

というのも、マクロ的な視点でいえば、医師の数は年々増えてきており、それに伴い博士号を持つ医師の数も増えていますが、その一方で旨味のある役職自体は病院の数の減少に伴い減ってきていて、限られたor縮小していくパイを争う状況になっているからです。

 

また、国家戦略として医療費削減が望まれる社会にあっては、診療報酬で生きている病院のマネジメント職である院長や部長は、一昔前の古き良き時代から比較すれば辛い中間管理職の役回りになりつつあるのかもしれません。大学教授にしても、運営費交付金が減らされ雑用が増える中で、厳しい研究倫理を問われ、製薬会社をスポンサーにした学術活動も叩かれたりして、苦しい立場になりつつあるのも周知の事でしょう。

 

部長や院長職の旨味はといえば、組織内で影響力の比較的強い立場にいられることや、部下を多数持つことでそんなに労働を強いられることなくお金をそこそこ貰えることなのだと思います。その意味では臨床教授ポジションを乱発している私立大学や、副院長や部長ポジションを乱発している病院が最近散見されますが、そんな役職インフレみたいなことをすると相対的に自分と同じ立場の者が増え、逆に部下の数は減っていくでしょうから、実質的な旨味はその分減っていってることでしょう。(勿論、部長とか副院長とかは医局や病院が勝手に用意しただけで、自分は臨床を他の医師同様or若手指導も含めてそれ以上の仕事をしたいのだ!という先生には全く関係のない話ではあります)

 

多くの医師は先輩の取った慣習に則り、臨床・研究(・教育)を併行して取り組む大学医局講座の中で研究していきます。しかしながら、院生や研究生のポジションで研究する医師は大学や医局からは十分なお金は貰えないことが多く、逆に院生であればお金を大学側に払っていたりします。お金は払わないけど大学医局講座としての研究業績だけは出させる。更には、院生であっても研究の時間を無償に近い大学病院臨床業務(無給医)に当てさせている医局講座もあると聞きます。

 

こんな状況を今まで続けることができたのは、研究をして業績を出した証である博士号で将来的な役職を保証していたからかもしれませんし、

  • 医師の純粋な学術的興味・知への貢献欲
  • 医師の競争自体を好む性格や忍耐力
  • 日本人特有の集団主義
  • ボスの命令をきちんとこなす勤勉性
  • まだ比較的割がよい臨床・当直・健診バイト
  • 医局との関係づくりの一環

といった、1番上の純粋な学術的関心以外は、認知の歪みを是正すると消えて無くなってしまいそうな要素のお陰なのかもしれません。

 

とはいえ、そこまでして博士号を無理しても取らなくてもよいのでは??や、生涯所得からすると博士号とったらマイナスじゃん!!等と経済合理的に考える医師が徐々に増えたりして、皆が取らないなら自分も取らないという風向きになり、医師が博士号を取るのが主流でなくなる時代も近い気もしています。学位と共にキャリアの一つとして語られる専門医の制度が整備されたことも学位取得者減少に追い打ちをかけることもあるでしょう。

 

大学医局講座の教授や准教授から、「学位は取るべきだ!だから(自分の所の)大学院生になるように」みたいな言葉をかけられることもあるかと思います。博士号を取得してこそ一人前の医師である、と本心から親心で言う教授も多いとは思いますが、自分自身が研究をしたいのでなければ、最悪の場合、旨味のなく競争の激しい役職等と引き替えに安価な研究労働力を提供するという事態にもなりかねません。

 

僕としては、長い医師人生、研究者としての人生を歩まずとも、また役職的・経済的対価を得られなくとも、先に挙げた能力向上や教養、人生イベントの一つとして博士号(プライスレス)を取得しておくことは悪くないと思います。けれど、それは別に様々な利害関係の絡み、時にはヤ〇ザ的とも揶揄される大学医局講座で取得するのでなくとも良いかもしれません。

 

博士号を取得する場所は海外大学院、大学医局講座に関連しない大学院、大学院と提携した研究所(理研とか)等、さまざまな選択肢があり、医学研究をする場所が大学医局講座しかなかった時代と今では状況が大分違うのですから。

 

それでは、またTwitterで。